Q&A

 

Question】

 

原発事故から5年もたった今ごろになって、なぜこんな会を立ち上げたのですか?

 

Answer

 

 たしかに、立ち上げまでに時間をかけすぎたかもしれませんね。もっと早く立ち上げて、すぐに法律を作って、国に施行を強く求めるべきだったと思いますが、何かをはじめるには、お金も時間も労力もかかります。一市民にすぎない私たちには、それだけの力がありませんでした。

 

 声をかけあい話し合い、ようやく10人余りの発起人が集まり、お金と力を少しずつ出し合って、2016年4月にようやく会を設立することができました。

 

 でも、けっして遅すぎたとは考えていません。

 

 なぜなら、放射線による健康被害は何年も何十年も、長く長く続くからです。それは、広島・長崎の原爆被爆者やチェルノブイリ事故の被害者の実例がはっきり示しています。

 

 2011年3月11日に発生した東京電力福島第一原子力発電所の事故によって、大量の放射性物質がばらまかれ、大勢の人たちが被ばくしました。大人や老人はもとより、幼い子どもたちや若者たち、胎内にいた赤ちゃんたちまでも。

 

 その人たちのなかには、すでに甲状腺がんなどを発病した人たちがいます。体調悪化に苦しんでいる人たちもいます。現在は元気でいるけれど、今後の発病への悩みを抱えている人たちも多いでしょう。ことに子どもたちや若者には、未来に対する不安が大きいと思います。

 

 原発事故は起こってしまった。放射性物質によって被ばくしてしまった。それはもう取り返しようのない事実です。

 

 それならば、せめて、せめて、お金の不安なく検査が受けられるようにしてほしい。病気になったときは、無料で医療を受けられるようにしてほしい。国の負担で、そうした医療保障を確保してほしい。そう思いませんか?

 

 だって、原発を作ったのは国です。事故を起こしたのは東京電力ですが、事故の責任は国にもあります。被ばくした人たちは被害者なのですから、声を大にして国に保障を求めるのはとうぜんのことではないでしょうか。

 

 原発を無くすこと、再稼働させないこと、避難や保養によって被ばくを最小限に食い止めること、そして病気になったときは無料で検査や治療が受けられること、これらはすべてひとつに繋がっています。

 

 すでに反原発や脱被ばくなどさまざまな活動が行われていますし、その活動方針の中に医療保障の問題も含まれていますが、この会はそうした繋がりを大切にしながら、あえて医療保障一本に絞って活動していきます。

 

 また、政党やイデオロギーなどには関係なく、あらゆる分野の人々のご協力を得ていきたいと考えています。なぜなら、健康被害の問題は、ありとあらゆる人々とその子どもたちに重く長くのしかかってくるからです。政党やイデオロギーなどの違いを問題にしているときではありません。

 

 

Question】

 

原発事故による放射線被害は、福島県以外にも広がっています。なぜ、福島県だけに限定した会を作ったのですか?

 

Answer

 

 放射性物質による健康被害は福島だけではない、東北や関東などの広い地域にわたって発生しているし、今後も発生するだろう。それなのに、なぜ福島県に限定した会を作ったのか・・・そんな批判もいただいています。

 

 もちろん、私たちも福島県だけが問題とは考えていません。茨城県や宮城県、群馬県、栃木県、千葉県、埼玉県、東京都など広い範囲にわたって汚染が広がり、福島県以外にもすでに小児甲状腺がんが発生している地域もあります。

 

 本来なら全国的な活動として取り組むべきですが、いきなり全国を対象として活動するには、やはり私たちは力不足です。また現在、緊急を要しているのは福島県です。

 

 そこで、まずは福島県の方たちを対象とした会を作りました。そして、福島県民の皆さんに中心になって活動していただくことにしました。

 

 「私の県でも会を作りたい」、「医療保障の問題に取り組んでいきたい」といったご要望が出てきたときは、「原発被害者の公的医療保障を国に求める会(略称:東京本部)が応援していきます。

 

 組織図をご覧いただくとお分かりのように、東京本部は全国組織として活動し、各県の活動を応援しながら、公的医療保障を実現するための新しい法案の作成や国会での法案成立、施行などに努力していきたいと考えています。

 

 福島県以外の皆さまも、どうぞ「福島に被ばく者手帳を作る会」にご入会くださって、ご一緒に活動しながら、それぞれの地域での会の立ち上げを検討していただきたいと願います。

 

 

福島に被ばく者手帳をつくる会 組織図 

 

代表

三田 公美子(福島県郡山市)

 

事務局長

博多 美保子(福島県田村市)

 

事務局員・会計

上遠野 浩子(福島県田村郡小野町)

  

運営委員50音順)

     

  伊関 明子(福島県耶麻郡北塩原村)

  小野 瑛子(千葉県習志野市)

  寺木 寛 (福島県郡山市)

  新妻 香織(福島県相馬市)

  山本 欣子(神奈川県横浜市)

  吉田 孝司(福島県岩瀬市)

 

顧問50音順)

     

  赤坂 憲雄(学習院大学名誉教授)

  飯田 哲也(環境エネルギー研究所々長)

  宇都宮 健児(弁護士 のりこえねっと共同代表)

  河合 弘之(弁護士 映画「日本と原発」監督)

  佐藤 栄佐久(元福島県知事)

  佐藤 彌右衛門(会津電力社長)

  吉原 毅(城南信用金庫相談役)

 

事務局所在地

  〒963-0202

  福島県郡山市柏山町3番地

  TEL 024-961-8822

  FAX 024-952-6788

 

  email fukusimapb@gmail.com

 

原発被害者の公的医療保障を国に求める会(各県本部を支援する) 組織図


代表 
 

小野 瑛子

 

副代表 

山本 欣子

 

事務局所在地 

  〒275-0026

  千葉県習志野市谷津3-12-22-307

 

      email hibaku-techou@gmail.com

 

 

 

 

Question】

 

 なぜ、原発被害者の公的医療保障が必要なのですか?

 

Answer

 

 広島・長崎の原爆被爆者、チェルノブイリ事故の被害者は、放射性物質に被ばくしたために免疫力が低下し、病気にかかりやすく、病気・ケガが治りにくいとされています。

 

 また、がんや白血病などの病気の発症率も高くなっています。

 

 さらに、内部被ばくによる健康被害は何十年と長く続き、高齢になってからの発症も多いのです。

 

 大きな病気をして、さまざまな検査や治療を受けると、公的医療保険(国民健康保険など)の自己負担分だけでも高額になってきます。

 

 お金の心配があるために、受けたほうがいい検査や治療を受けられずに悪化させてしまうのは、とても悲しいことです。まして、子どもや若者にそんな悲しい思いをさせたくないですね。

 

 できるだけ被ばくを避け、発病しないようにすることが最優先ですが、発病してしまったときは、医療費の不安なしに医療を受けられるような制度の確立が急務ではないでしょうか。

 

 

Question】

 

 広島・長崎の原爆被爆者の保障はどんなものがありますか?

        

Answer

 

 広島・長崎の原爆被爆者には「被爆者健康手帳」が交付されています。病気やケガをしたときは、この手帳と公的医療保険(国民健康保険など)の保険証を医療機関の窓口に提示すれば、公的医療保険の自己負担分が免除されます。

 

 全国ほとんどすべての医療機関で、ほとんどすべての病気やケガの治療が無料で受けられるのです。

 

 また、年2回の健康診断も無料で受けられます。うち1回はがん検診に変えることもできます。

 

 こうした保障に年齢制限や地域による差はありません。現在の福島県の医療保障のような18歳以下のみとか、事故後に福島県から出た人には適用しないといった制限や差はないのです。

 

 原爆を受けたことは辛く悲しいことですが、医療保障が確保されていることはありがたいです。原発事故によって被害を受けた方たちにも、ぜひこうした医療保障を確保してほしいです。

 

 写真は、東京本部代表の小野瑛子の被爆者健康手帳です(戸籍名の英子になっています)。

 

 この手帳は被爆者全員に交付されているわけではなく、爆心地(原爆が投下された地点)からの距離や、投下後に市内に入った時期などによって線引きがされています。

 

 手帳の中には「被爆の場所」という項目があり、そこに「広島市東観音町 爆心地から1.5キロメートル」と記載されています。被爆者健康手帳が交付されたのは原爆投下から12年後の1957年(昭和32年)でしたが、このときに爆心地からどれくらいの距離で被爆したかなどを証明してくれる人が必要でした。証明してくれる人がみつからず、手帳の交付を受けられない人もいたのです。原発事故で被ばくした方たちにも、将来この証明が必要になるかもしれないので、なんらかの形で残しておくとよいでしょう。

 

 


 

 【Question】

 

原爆被爆者の医療保障のために、国はどんな法律を施行していますか?

 

Answer

 

 原爆被爆者の「被爆者健康手帳」は、「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(略称:原爆被爆者援護法)によって交付されています。また、この法律にもとづいて「原子爆弾被爆者対策」が立てられ、厚生労働省の管轄でさまざまな施策が実施されています。

 

 毎年、被爆者対策のための予算が立てられ、国が安定的に恒久的に運営している制度なのです。

 

 空襲や沖縄戦などの戦争被害者には保障がないのに、なぜ原爆被爆者にはこうした保障があるのか。それは原爆によって放射線の被害を受けたからです。

 

 原発事故による放射性物質と病気との因果関係を、国はいまだに認めていませんが、原爆被爆者援護法では、その前文に次のように記されています。

 

「昭和二十年八月、広島市及び長崎市に投下された原子爆弾という比類のない破壊兵器は、幾多の尊い生命を一瞬にして奪ったのみならず、たとい一命をとりとめた被爆者にも、生涯いやすことのできない傷跡と後遺症を残し、不安の中での生活をもたらした。

 このような原子爆弾の放射能に起因する健康被害に苦しむ被爆者の健康の保持及び増進並びに福祉を図るため、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律及び原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律を制定し、医療の給付、医療特別手当等の支給をはじめとする各般の施策を講じてきた」。

 

 つまり、原爆の被害に対して、国は放射性物質(前文では放射能という言葉が使われている)と健康被害との因果関係を認めているのです。

 

 原爆では認めたのに、なぜ原発事故では認めないのか、疑問を感じませんか?

 

 

 

Question】

 

被ばく者手帳をもつと差別されるのではありませんか?

 

Answer


「被ばく者手帳をもつと、被ばく者であることが分って差別されるのではないか」という不安を感じる方もいらっしゃるでしょう。

 

 広島・長崎でも「被爆者だから」と差別され、いじめられたり、結婚や就職の際に苦しんだ人たちが大勢います。そうした不安のために被爆者健康手帳の交付を申請しなかった人たちもいます。

 

 しかし、差別は手帳が生んだものではありません。差別の根源は「原爆にあったこと」にありました。その事実は、隠して隠しきれるものではないし、隠しとおそうとすると精神的な負担も生みました。

 

 また、差別を恐れて手帳の交付を申請しなかった人たちのなかには、大病をして医療費に苦しむようになって、交付を受けなかったことを後悔している人たちもいます。原爆投下から70年以上たった現在でも、毎年数百人が手帳の交付を申請しているそうですが、爆心地からの距離などを証明してくれる人がみつからず、交付されないケースも多いようです。

 

 これから長い未来を生きていく子どもたちや若者こそ、差別を恐れずに交付を受けてほしいし、子どもたちや若者のために、その親たちも祖父母たちも活動に参加していただきたいと願います。

 

 

Question】


被ばく者手帳は国が与えてくれるのですか?

 

Answer

 

「被ばく者手帳があるなら、うちの子どもたちにぜひ持たせたい。どうやって手続きすればいいですか?」といった質問をいただくことがあります。「いえ、まだ手帳はありません。これから闘って勝ち取っていくのです」とお返事するとがっかりなさるのですが、被ばく者手帳は、待っていれば与えられるものではありません。

 

 広島・長崎の場合も、原爆投下から数年後の1940年代後半に被爆者たちが立ち上がり、原水爆禁止と被爆者の救済を訴えたところからスタートしました。

 

 そして、1952年のビキニ事件をきっかけに大きな盛り上がりを見せた原水爆禁止運動に支えられて、1957年にようやく法律が制定され、被爆者健康手帳が交付されたのです。原爆が投下されて12年後のことでした。

 

 同じ年に被爆者の団体である「日本原水爆被害者団体協議会(略称:日本被団協)」が設立され、多くの被爆者が結集しました。被爆者の唯一の全国組織であるこの会は、会員が高齢になり病弱な人も多いなか、現在も核兵器廃絶と原爆被害への国家補償要求に活発な活動を続けています。

 

 原発事故による被害者の救済も、被害者自身が立ち上がり、手をとりあい力を合わせて、国に要求し闘い、勝ち取っていくしかありません。

  

 微力だけれど無力ではない・・・その言葉を信じて、ひとりひとりの小さな力を寄せ合い、公的医療保障の確保に頑張っていきましょう。